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割とぶっちゃけ気味な、日常日記です。好きなことや感じたこと、時にはグチもあるけれど、いろいろ書き綴っていきます。
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コルダ再録本『Sweet Melody』より、『君が与えてくれたもの』をサンプルでUPしておきます。

   『君が与えてくれたもの』 (月森×香穂子)


「……だめだ」
 放課後の練習室で一人つぶやき、俺は曲の途中でヴァイオリンを下ろした。
「どうしても曲想に揺らぎが出てしまうな」
 いや、正確には曲想だけの問題ではない。
 時に自分でも目が醒めるような音を奏でたり、また、ふとした瞬間に曇ってしまったり。奏でる音色はひどく不安定で。
 最終セレクションは目前だというのに、思うように弾く事が出来ない。
 こんな状態になった原因は。
 ――原因は、分かっている。
「香穂子………」
 いつしか、かけがえのない存在になっていた彼女の名を呼び、俺は窓の外に視線を投げた。

          *

『蓮、来週の月曜日に家に帰るから、その日は学校が終わったらすぐに帰ってきてね』
 そう母からの電話があったのが先週の事。
 そして今日、母は家で俺の帰りを待っている。
 いつも一緒に帰る香穂子に断りを入れて、たった一人、街中を抜ける。
 心なしか左側に違和感があって、ヴァイオリンケースを左手に持ち替えてみる。だが、違和感は消えないまま。
(おかしなものだな……。そうか、彼女がいないから……か)
 いつもなら香穂子が歩いているはずの左側。
 こんな風に姿がない事に違和感を感じる程、彼女は俺の中に深く入り込んでいるというのか。
「……っ」
 その事に気付いて、俺は頭の中を振り払った。
 今は、彼女の事は忘れよう。彼女の存在は俺の演奏に影響を与える。
 不安定な演奏を母が聞いたら、どう思うだろうか。
(心配……されるだろうな。一体何があったのかと。普段離れている分、母は俺をよく心配するのだから。だから今だけは彼女の事を忘れよう。両親の為に、何より……俺自身の為に――)
 再びヴァイオリンケースを右手に持ち替え、俺は早足で歩き始めた。


 
「おかえりなさい、蓮」
「ただいま。……公演お疲れ様でした」
 リビングで俺を待っていた母に労いの言葉を掛け、互いの近況などを話し合う。ひと段落した所で部屋に戻ろうとすると「蓮」と呼び止められた。
「ねぇ、一曲聴かせてもらってもいいかしら。学内コンクールは、いい刺激になっているのでしょう? 蓮の演奏が聴いてみたいの」
「え……?」
 心臓が一度、大きく脈打つ。
 思いがけない話に動揺するが、俺は何事もないように振舞った。
「……分かりました」
 ソファの上に鞄とヴァイオリンケースを置き、ケースの鍵を開けると弓に松脂を塗り、準備を整える。チューニングを終えて軽く練習曲をさらうと、俺は母に声を掛けた。
「リクエストがあったら、どうぞ」
 楽器を構えて選曲を待つと、母はしばらく考えてから言った。
「それじゃあ、『ロマンス第一番』をお願い」
「…………」
 その曲名を聞いて、脳裏に香穂子の姿が過ぎる。
 昼休みの屋上で、その曲を伸びやかに弾いていた香穂子。演奏が終わって、聴き入っていた俺に気付き、微笑みを浮かべて――。
「……蓮? どうかしたの?」
「いえ、何でもありません」
 母の声に香穂子の姿を消し、曲想を思い浮かべる。
 清らかで、それでいて愁いを含んだ曲想を。
 静かに弓を動かし始め、奏でる音が室内に広がっていく。
 なめらかな音移り、広がりのある重音。
 それは幾つもの技術を応用した、自分自身の音色――

『月森くん、すごいね! 音がすごく綺麗……。このままいつまでも聴いていたくなるよ』

 香穂子の言葉が、ふいに浮かぶ。
 瞳を輝かせて、俺の音が好きだと何度も伝えてきた彼女。
『君だって、俺にない表現をいくつも持っている。その表現の一つ一つに俺はいろいろと考えさせられる。その……君の音が、ひどく俺の心に響くんだ』
 返す俺の言葉。
 そう、香穂子の音はいつだって俺の心に優しく届く。
 彼女の温かな音色が、俺の心にゆっくりと降り積もって……。
(香穂子……)
 奏で続ける音色から愁いが消え、音が温かさを帯びていく。それは、彼女のように伸びやかで自由な音色。
「……蓮?」
「…………っ!」
 視界に入った母の驚いた表情に、我に返る。
(俺は何を考えていたんだ……)
 気付けば、最初にイメージした曲想と全く違うものになっている。その事に気づき、音に愁いを込めようと弓を走らせるが、思うように音は出ない。
 早く自分自身を取り戻さなければ――そう思うが、乱れた心は音自身をも狂わせる。
「…………だめだ」
 つぶやき、曲が終わらない内に俺はヴァイオリンを下ろした。
 ――最悪な演奏。
 こんな演奏、母の前でするはずじゃなかった。
 もっと完璧な演奏をして、『俺は大丈夫』だと安心させるはずだった。
 それなのに……こんな劣悪な演奏をしてしまった自分。母の顔が見れず、ただ視線を落とすことしか出来ない。
「すみません……」
「――蓮」
 突然、温かな拍手が部屋に響いた。
「……え?」
 驚いて顔を上げると、満足そうな顔をした母が俺に惜しみない拍手を送っている。
 ソファから立ち上がった母は、戸惑いからその場に立ち尽くす俺を見て、優しく微笑んだ。
「あなた、音が変わったわね。いいえ、正確には変わってる途中と言うのかしら? ……まだ不安定ではあるけれど、途中の清らかな解釈は特に心に響いたわ。ねぇ、蓮。私はその音、とても好きよ」
「お母さん……」
「蓮。今までのあなたの音は、確かに正確で安心して聴いていられるものだけれど、足りないものがあったのよ? けれど、今はそれがあなたのものになろうとしている。さっきの演奏では、自分自身の音に戸惑っていたようだけれど、信じていいの。その音はかけがえのないもので、とても大切なもの。素直に受け入れてみてはどうかしら」
「…………」
 途中から、母の言葉が妙に現実味を帯びて伝わってきた。
 彼女の音によって――存在によって変わりつつある俺の音。
 その音を……想いを信じていいと。この不安定な音色を、受け入れていいのだと。
 微笑みを浮かべる母が、俺の中に根付く一つの花の存在に気付いているのか分からないけれど。
「……ありがとう」
 俺は母にそう返し、もう一度ヴァイオリンを奏で始めた。
 今度は初めから、彼女を思い浮かべて。
 清らかで、伸びやかな音を奏でる。
(香穂子……)
 君にこの音が届くように。この想いが届くように。
「綺麗な音ね……」
 そうつぶやいた母の声が、音色と共に俺の耳に届いた。



 君が与えてくれたもの。
 温かくて優しいその音に俺は耳を傾け、そして応えよう。
 この心にある想いを抱いて、俺は音色を奏でる。
 
 君の音色、君の存在。
 その総てを愛しいと思う心が、どうか君に届くように。
 この音色が、君の心に響くように――。
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